プロ入り3年目の2022年シーズン大活躍だった千葉ロッテマリーンズの高部瑛斗(たかべ・あきと)選手ですが、なんと野球をやめようとしていたという驚きのエピソードを発見しました。
ではなぜ、今も野球をしているかというと、高部選手の弟さんのある出来事が大きなきっかけになっているんです。
この記事では、高部選手のご兄弟のプロフィール、野球を続けるきっかけとなったエピソード、ご兄弟の絆について詳しく紹介していきます。
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高部瑛斗三兄弟の顔画像!プロフィールまとめ

引用:https://www.instagram.com/p/CGH_dennjkM/
高部瑛斗選手は三兄弟の次男として生まれていますのでそれを踏まえて、ご兄弟の簡単なプロフィールを紹介したいと思います。
プロ野球選手のご兄弟は一体何をされている方なのでしょうか。
高部瑛斗三兄弟の兄・寛斗

引用:https://twitter.com/hiroto_takabe/status/1280517996381945857
高部瑛斗選手の1歳年上の兄である高部寛斗(たかべ・ひろと)さんもなんと野球経験者で高校も高部瑛斗選手が通っていた東海大甲府高校の出身でした。
高部瑛斗選手の父親が元高校球児のためスポーツを意識して育ったとのことですので、スポーツマン一家なのでしょう。
そんな兄・寛斗さんは野球の道ではなく、渋谷にあるL’wis(ルイス)という美容室にて店長をしています。この美容室は高部瑛斗選手はもちろん千葉ロッテマリーンズの若手選手も通っており、特に安田尚憲(やすだ・ひさのり)選手が多く通っています。
高部瑛斗三兄弟の弟・晴斗

引用:https://twitter.com/hiroto_takabe/status/1185187094940934145/photo/2
高部瑛斗選手の3歳年下である高部晴斗(たかべ・はると)さんは、高部瑛斗選手が高校時代、野球に奮闘するきっかけとなった人物です。
幼い頃は弟の晴斗さんと一緒にいることが多かった高部瑛斗選手ですが、高校時代は寮に入っていたためなかなか会えなかったようです。
高部瑛斗三兄弟の感動エピソード

引用:https://www.instagram.com/p/CIqGQTmHfhM/
高部瑛斗選手のご兄弟の簡単なプロフィールの次は感動のエピソードのついて紹介していきたいと思います。
一体どんなエピソードなんでしょうか。
高部瑛斗が高校2年の時に弟の病気が発覚

引用:https://twitter.com/hiroto_takabe/status/1320986857530740736/photo/1
なんと高部瑛斗選手が高校2年生の冬に弟の晴斗さんが倒れ病気が発覚、病名は急性白血病でした。
その当時高部瑛斗選手は、周りのレベルについていけずに挫折を味わい、高校を卒業したら野球をやめようと考えていたそうなんです。
それではなぜ高部瑛斗選手が今も野球をしているのかというと、弟である晴斗さんがきっかけなんですよね。
弟の気持ちに応えるために野球に奮闘

引用:https://www.instagram.com/p/CjNsQKMLgXS/
弟の晴斗さんが治療に苦しむ姿を見た高部瑛斗選手は、野球を辞め自身も看病を手伝おうかと思っていたようですが、「瑛斗が野球をしているところを見たい。ホームランを打つところを見たい。でも無理か、球場に行けない」という言葉に高部瑛斗選手が奮い立ち、晴斗さんとの約束をしました。
「甲子園に出る。レギュラーをとって甲子園でヒットを打つ。そしたらテレビで観れるだろ」と伝え、その上でプロ入りすることを約束し練習に励んだ高部瑛斗選手は、なんと半年後には中心選手として活躍していたんです。
見事に甲子園出場を果たす

引用:https://www.instagram.com/p/Cm1XQ6-r9WX/
約束通り、高部瑛斗選手は高校3年生の夏に甲子園出場を果たしレギュラーとして活躍、結果は3回戦敗退でしたがヒットを打つなど爪痕を残したのでした。
また高部瑛斗選手が甲子園に出場するタイミングで奇跡的に一時退院を許された弟の晴斗さんは自宅でテレビ観戦し高部瑛斗選手を応援していました。
この時兄・寛斗さんはご両親を甲子園に送り出し晴斗さんの面倒は自分が見ると申し出て晴斗さんと共にテレビ観戦しその時に、悪夢のような日々だったけどこれが平和なんだなと感じたそうです。
優しい2人の兄に囲まれた晴斗さんは高部瑛斗選手が大学生の時に16歳の若さで短い生涯を閉じました。
プロ入り後弟の命日にヒーローインタビューを受ける

引用:https://hochi.news/articles/20220923-OHT1T51274.html?page=1
2019年度ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3位指名を受けた高部瑛斗選手ですが、3年目の2022年シーズンは開幕スタメンを勝ち取りレギュラーに定着、リーグ最多の44盗塁をマークし盗塁王となり初タイトルを獲得。
守備でもゴールデングラブ賞を獲得という飛躍の年でしたが、なんと運命的な出来事がありました。
晴斗さんの命日である9月23日に敵地福岡にて延長10回に勝ち越しタイムリーを放ちチームは勝利、高部瑛斗選手のInstagramにも喜びが語られていました。

引用:https://www.instagram.com/p/Ci2dlVCPdNa/
弟さんの誕生日や命日に言葉を贈られている高部瑛斗選手と兄である寛斗さん、兄弟の絆は深いです。
高部瑛斗が小児がん支援プロジェクトを開始

引用:https://www.instagram.com/p/Cm1XQ6-r9WX/
高部瑛斗選手は弟である晴斗さんとの別れを乗り越え練習に励みプロの道へ進みました。
2022年シーズン終了後に、高部瑛斗選手がかねてより希望していたある支援プロジェクトを開始することが発表されました。
シーズン安打数×1万円を寄付

引用:https://www.chunichi.co.jp/article/242637
社会貢献プロジェクト「MARINES LINKS」の活動の一環として、小児がんで闘病する子供や小児がんに特化した医療機関を支援する「小児がん支援プロジェクト」を開始、高部瑛斗選手を中心として支援していくことが発表されました。
シーズン安打数×1万円が闘病中の子供やその家族へ寄付されます。
2022年シーズン148安打を放った高部瑛斗選手の第一回の支援額は148万円で、今後は球団オリジナルグッズや高部瑛斗選手のグッズも寄贈され、医療機関への訪問も予定しているようです。
入団当初から支援を希望していた

引用:https://twitter.com/hiroto_takabe/status/1185187094940934145
今回の活動は、弟の晴斗さんの闘病を近くで見てきた高部瑛斗選手が入団当初から希望していた活動で、今回球団との思いが一致したことにより実現し、「少しでも前を向いてもらえるように自分がその1ピースにでもなれれば」とコメントしています。
「僕自身も弟を大学生の時に急性白血病で亡くした過去があります。ただ、今の僕があるのは弟の言葉や、存在の大きさがあります。自分と同じような経験をされているご家族、今も闘病中の子供たちに少しでも前を向いてもらえるように自分がその1ピースにでもなれれば」引用:東京中日スポーツ
継続的に活動できるようにしっかり活躍したいと語った高部瑛斗選手の今後の活躍を応援していきましょう。
【関連】村上宗隆と氷川きよしの関係が面白すぎw 赤い糸と同じ記念日